『彩子(さいこ)』 郷に入っては…とんでもない名前になることも
投稿者:さくや
お腹の中にいるとき、すでに女児とわかっていたので、夫は最初、私に命名を任せると言っていました。
私は文学部の出身で国語教師だったので、万葉集の歌人の名前からいくつか候補を考えていました。
しかし、生まれてみると。
やはり自分で名づけたくなったようです。
夫が出してきた名前は「彩子(さいこ)」でした。
彩の字は美しいと思いましたが、正直、「『あやこ』が普通じゃないかな」と、ちょっと不思議でした。
夫に理由を訊くと、「サイエンス(科学)のサイだ」と。
科学者であり、工学博士でもある夫らしい命名です。
私はつねづね、子供の名前について、極端に変わった名前は嫌だけれど、無個性なのもつまらないと思っていました。
ですから、漢字は普通であまりない読み、涼やかな音で、しかも当て字ではないということが気に入って、賛成しました。
祝ってくれた親戚や知人に披露すると、たいていの人がびっくりして、聞き直してきました。
みな、「あやこ」と読むものと思うのですね。
漢字で見ればごく平凡な名前なので、よけいインパクトが強いのでしょう。
でも、そこは私たちが狙ったところですから、驚かれることにも満足していました。
娘が満1歳のとき、夫の研究の関係で、渡米することになりました。
人はみな、「赤ちゃん連れで大変ね」と言いましたが、娘はいたって丈夫な手のかからない子供でしたし、私も適応力があるので、何の心配もしていませんでした。
ところが、です。
娘の名前は、アメリカでは思わぬ受け取られ方をしました。
現地では、子供連れにはみなフレンドリーに接してくれます。
そして必ず、「可愛いベビーね。お名前は?」と訊いてきます。
「ハー・ネーム・イズ・サイコ(この子の名前はサイコよ)」
そう答えると、いつも微妙な表情が返ってきます。
「オオゥ…」とうめき声を上げる人さえ、いました。
どういうことかと、夫が親しくしている研究仲間に訊いてみると、とんでもないことがわかりました。
「サイコ(psyco)」とは、本来、「心理学」を表す英語らしいのですが、それが高じて、「異常心理」「異常者」を指す言葉になったというのです。
そういえば、思い出しました。
ヒッチコック監督の映画「サイコ」は、異常な男が、猟奇殺人を繰り返すお話でした。
私たちは、頭を抱えてしまいました。
娘のために美しい字を選んだのに、アメリカでは、漢字の成り立ちや意味など、わかってもらえません。
そして、名前の音だけ見れば、英語圏ではあまりに印象が悪いのです。
でも、海外で暮らしている間だけのことだと思えば、しかたありません。
このときばかりは、早く「漢字の国」に帰りたいと思いました。
その娘も、もうアラサーです。
初対面の方からは、いまだに「あやこ」と読まれてしまいますが、本人は訂正もせず、そのまま受け入れています。
親である私たちとは違って、名前の読み方や意味に、あまりこだわりのない性格のようです。
子供といえども、親とは別人格だなあ、とつくづく思いました。
娘は、夫が望んだような科学者にはなりませんでしたが、農学部に学び、今では農場で働いています。
農業も、広い意味では「科学」だと思うのですが、どうでしょう。