『沙也(さや)』 流れを呼ぶ名前
投稿者:machi
まず、娘が生まれる前に名づけに関する書籍を購入しました。
苗字とマッチする名前の画数は全部で8画と書かれていたので、10画といえばそうたくさんの文字は使えませんから、ひらがなか漢字1字~2字で探してみる事にしました。
子(3画)という漢字を付けたければ、上に7画をもってくれば良いという事ですから、まずはその作業から始める事にしました。
亜細亜(あじあ)の亜の漢字が7画ですから、亜子(あこ)にすれば丁度10画になります。
「あこちゃん。」
とても呼びやすい名前だし、活発な感じがしてお気に入りでした。
その次に、沙「さ」という漢字が7画である事が書かれてあり、也「や」という文字と組み合わせてみたところ、こちらもやさしい響きがしてとても良い感じです。
娘の2歳上に長男が生まれていて、也「や」を使った名前にしたので、兄弟そろって也の字を使うのも良いかもしれないと思ったのです。
この沙の「さんずい」には物事をうまく流してくれる役割があると書かれていました。
家族間や社会に出て、その環境の中で、物事の仲裁や人とのコミュニケーションにおいて上手く対処出来る人になってくれると嬉しいものです。
生まれた直後はこの2つの候補で呼んでみたりしたのですが、「亜子ちゃん。」と呼ぶととてもかわいらしくてしっくりいくので、お気に入りでした。
丁度友人がお見舞いに来てくれて、「亜子ちゃん。良いね。」などと言ってくれたので、もう決まりかな?と思っていました。
ところが、お姑さんが長男が誕生した時は喜び勇んで駆けつけてくれたのですが、二番目のしかも娘となると冷たいもので顔も見に来ない始末でした。
主人がひとりっ子のせいか、長男の長男に固執していたのです。
その時、「これは娘がこの先苦労するかもしれない、おばあちゃんから可愛がられないのでは?ひとりっ子の子どもだからたった二人の孫で差別されたら可哀そう。」と思い、「沙也」という名前にして何とか難を逃れ様と考えたのです。
沙也はすくすくと育ち、スポーツや勉強も平均以上の結果を出すほど頼もしい女の子に育ちました。
やはりおばあちゃんからはあまり可愛がられていませんでした。
ある年のお正月には、2歳しか違わない兄とお年玉の金額でかなりの差をつけられ、父親である主人がそれには猛攻撃で、お姑さんに言っても似たような事例を繰り返すため、お舅さんの方を別室に呼んで「たった二人の孫で、年齢も近いし、そういう事を敏感に感じるからやめて欲しい。」と相談し、「おじいちゃんからも沙也にはお年玉が出たよ。」という事にして一件落着をした次第でした。
その後もこの二人兄弟の格差は続く事になりましたが、私の方の母は全くそういう事はしないので、沙也は母方の祖母は大好きで、父方の祖母は少々苦手という子ども時代を送ったのです。
高校生に成長すると、大学進学を目指し、運よく九州でも人気のある私立大学の法学部の推薦入試を受ける資格をもらいました。
法学部に入ると、専攻を決めなければなりませんでしたが、本人と私の希望で「家族法」を学ぶ事に決めました。
その間に主人が若くしてガンで亡くなってしまい、一人息子の早い分かれに家族中が沈んでしまいました。
姑と私の関係は悪くなるばかりで大変な時期を過ごしました。
そんな時、娘が法学部で家族法を学んでくれた関係で、夫の親と私のその後の関係性や扶養などに心強い存在になってくれました。
その後、お舅さんが亡くなり、また娘の存在が大きな役割を果たす事になりました。
お姑さんは一人暮らしを貫いており、親族だれも寄せつけず孤独な生活を送っています。
あんなに可愛がった孫(長男)は大学を出てそのまま地元を離れており、卒業して地元の就職を選んだ娘が良くおばあちゃんを訪ねてあげています。
今では、娘の助け無くては誰も寄りついてくれず、何とも皮肉なストーリーかなと思ってしまいます。
名付けの画数に表れている様に、我が家に流れをもたらしてくれましたし、何よりも本人がさっぱりとしていて、お姑さんとの関係も「色々あってもおばあちゃんは、おばあちゃんだものね。」とわが娘にして何と大人の考えをするのかと、感心させられます。
こどもの頃、あんなにじゃけんにしていた孫娘の助けなしには病院に入院する事さえ出来ないのですから、皮肉なものです。
自分が孫と過ごす日が来るのなら、差別などせずにかわいいおばあちゃんでいたいと思います。
娘は職場でも混乱した状況や人間関係において解決出来る人物ととらえて頂いているそうです。
また、娘が配属されてから女性間の争い事が減って、仲良くなって来たとも言われているそうです。
亜子という名もお気に入りでしたが、今となっては沙也という名を選んで正解と言って良いのかもしれません。